強迫性障害(Obsessive-Compulsive Disorder; OCD)は不安障害の一型で、その病態は、強迫観念と強迫行為に特徴づけられます。
強迫観念は無意味ないし不適切、侵入的と判断され、無視や抑制しようとしてもこころから離れない思考や衝動およびイメージなどで、強迫行為はおもに強迫観念に伴って高まる不安を緩和および打ち消すための行為で、そのばかばかしさや、過剰であることを自ら認識してやめたいと思いつつも、駆り立てられる様に行う行為です。
具体的には、トイレのたびに「手の汚れ」を強く感じ、それをまき散らす不安から執拗に手洗いを続けたり、泥棒や火事の心配から、外出前に施錠やガス栓の確認を切りがなく繰り返したりします。
フロイトに始まる精神分析の中では、「強迫神経症」として精神分析的・心理学的見地から研究や臨床の対象とされ、精神力動論による成因理解がなされてきました。しかし1960年代以降は神経生物学的観点からの成因や病態の解明が進展し、さらにはSSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)や認知行動療法の有効性が検証されるにつれ、神経症概念の範疇では捉えきれなくなってきました。このため、1980年に改訂されたアメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-III において疾患名は「強迫性障害」に変更され、操作的診断基準によって疾患概念が明確化されました。
以後の研究では、とくに精神病理や病因、脳機能、治療など多角的観点から強迫性障害の多様性が注目され、強迫性障害を均一的疾患とみなすことの限界が明白となっています。そのため、DSM-IVでは持続的に症状の不合理性に関する「洞察に乏しいもの」が、WHOが定める診断基準のICD-10では「強迫思考を主とするもの」「強迫行為(強迫儀式)を主とするもの」および「両者が混合するもの」というサブタイプがそれぞれ採用され、治療法選択や予後判定の基準として試行されています。
1960年以前、強迫性障害の一般人口中の有病率は、0.05%程度と考えられていましたが1)、DSM-IIIで操作的診断基準が導入されて以降、これに準拠する信頼性の高い診断を行う為の構造化面接法が開発され、疫学研究が進展し、データに変化がみられます。
たとえば、1980-1983年にかけ実施されたアメリカ国立精神衛生研究所が作成したDiagnostic Interview Schedule (DIS)2)によるNational Epidemiological Catchment Area Surveyでは、強迫性障害は、恐怖症や物質関連性障害、うつ病などに次いで高率に見られ、6ヶ月有病率は16%、その生涯有病率は2.5%と報告されています3,4)。Weissmanらが4大陸(プエルトリコ、カナダ、米国、ドイツ、台湾、韓国、ニュージーランド)で行ったDISによる国際的疫学調査では、12ヶ月有病率は1.1-1.8%、生涯有病率は1.9-2.5%と、それぞれ0.4%、0.7%の台湾を除けば、大きな地域差を認めませんでした5)。それ以外の国や地域でも、DISで診断したDSM-IIIの強迫性障害の生涯有病率は概して2%程度で、その出現に関しては宗教や経済面の相違など社会文化的背景による影響は少ないものと考えられました5,6)。
その後、国際比較診断用構造化面接(Composite International Diagnostic Interview; CIDI)が様々な国や地域、文化圏に対応しうる面接法として開発されました7)。このDSM-IV版を用いた様々な地域の疫学調査によれは、一般人口中の生涯有病率は0.5-2.0%であり、地域差はDSM-IIIの場合と同様に少ないことがわかっています8)。一方、DSM-IIIに準拠した場合に比べて、DSM-IVでの有病率は、おおむね低率の傾向にあります。さらに強迫性障害の診断閾値に達しない程度(閾値下)の強迫症状を有するものが、一般にも相当数いることが指摘されていますが6,9)、強迫症状の重症度は経過中しばしば変動することから、この中に、一時的に診断域に達する場合があるものと考えられます。この様に、従来報告されている強迫性障害の有病率では、
1) 適用される診断基準や閾値
2) 調査方法(面接法や評価者の熟練度、調査手段(対面式か電話かなど))に加え、
3)対象者の構成(年齢、性別など)
4) 強迫症状の特性(症状や重症度の時間的変遷)
などの影響も考慮しなくてはなりません10,11)。
我が国での患者数と有病率
我が国においては、一般人口中の強迫性障害の有病率に関するデータは多くはありません。大学生424名中のDSM-III-Rの強迫性障害を有する割合は、1.7%とされています12)。また約4,100名の一般住民を対象とした、川上による「こころの健康についての疫学調査」(世界精神保健日本調査)では、強迫性障害の有病率は明らかではありませんが、不安障害全体の生涯有病率は9.2%でした13)。一方、東京、大阪、京都の三つの大学付属病院における精神科総初診患者さんのうち強迫性障害の割合は、0.51-1.37%とされています14)。同様に近畿圏の大学付属病院8施設を含む9つの総合病院精神科において調査した結果では、総初診中の強迫性障害患者さんの割合は、1.75-3.82%でした15,16)。これらは、フランスでの精神科外来 患者を対象とした調査において17)、強迫性障害患者さんの割合が9.2%であったのに比べてきわめて低率といえます。このことからは、我が国では、強迫性障害の患者さん自体が少ないか、または強迫性障害患者の精神科受診率がいまだ低率であるかの可能性などが推測されます。この点、川上の研究によれば、過去12カ月間に何らかの精神障害を経験した方の約17%、いずれかの不安障害では約19%程度しか、医療機関などを受診・相談していませんでした13)。この受診率は、米国や欧州の多くの国々に比べるとかなり低く、さらに不安障害患者が選択した受診先は半数以上が一般医であり、精神科は約7%に留まっていることも明らかになっています。すなわち我が国では、重症でありながら受診行動に至っていないものも相当� �いて、加えて精神科を受診することへの躊躇も、依然強いものと考えられます。この様に、現在のところ、我が国の一般人口中における強迫性障害患者数や有病率の確かなデータは見られませんが、おおむね欧米と同様に1-2%程度、すなわち50-100人に1人、日本の総人口に換算すれば、100万人強の強迫性障害患者の存在が推定されます。
強迫性障害では、その原因や発症に関わる特異的な要因は、いまだ特定されていません。
しかし、不況や新型インフルエンザの流行など、不安が増大しやすい現代の社会情勢では、自らを、あるいは大事なものを守ろうとする過度の防衛反応として、強迫的思考や行動が誘発されやすい可能性があります。また多くの患者さんが、対人関係や仕事上のストレス、妊娠・出産などのライフ・イベントが、発症契機となります。これらと、何らかの脆弱性要因、たとえば神経生物学的、あるいは性格など心理的要因との相互作用を介し、発症に至るものと考えられます。この様な強迫性障害に「なりやすい要因」とされているものには、次の様なものがあります。